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吾妻鏡 文治6年正月

外出自粛で山にも鎌倉にも行かれない日々が続いているので、この機に吾妻鏡読み進め。

文治6(1190)年(=建久元年)
正月は恒例行事の鶴岡八幡宮御参と椀(埦)飯。3日の御行始では比企能員の屋敷に行っています。

1月6日、泰衡の郎従だった大河次郎兼任が昨冬より義経を名乗ったり、義仲の嫡男朝日冠者と称したりして挙兵。七千余騎で河北~秋田城~大関山~多賀国府という経路で鎌倉へ向かおうとしたところ、秋田大方で志加渡(凍った水上)を通ろうとした時に氷が俄かに消えて五千余人溺死とあります。「秋田大方」は大潟すなわち当時は広大な湖だった八郎潟。新暦なら2月初旬の厳冬期の秋田、相当寒いでしょうから八郎潟歩いて渡れた?検索してみると中世は温暖期だった説と寒かった説両方あるので、この時どの程度の氷が張っていたのかわかりませんが…この事故が事実ならだいぶ兵力が減ってしまったはずですが、兼任は元泰衡の郎従で御家人になった由利維平に使者を送り、主人の敵を討つために鎌倉に行くと通告(挑発したのか、元同僚を誘おうとしたのかは不明)。維平は防戦に向かいますが、討ち死に。由利維平は由利八郎と同一人物とされています。由利八郎についてはこちら
兼任はさらに北にも向かい、津軽で宇佐美平次以下の御家人らを殺害。奥州在国の御家人らは鎌倉へ事の次第を報告のため飛脚を送る。

1月7日、大河兼任の弟で、去年奥州で囚人となりその後御家人になっていた二藤次忠季が奥州下向の途中で兼任挙兵のことを聞き、兄弟といえども兼任と同意ではないことを示すために鎌倉に帰参。忠季の兄の新田三郎入道も同じく兼任に背き鎌倉に参上。彼らの報告により鎌倉から軍勢発遣の沙汰となり、相模国以西の御家人に準備を促す。

1月8日、千葉常胤・比企能員を大将軍として兼任征伐軍第1陣が出陣。
1月13日、上野信濃の御家人に出陣命令。上総介義兼を追討使として発向。また千葉胤正が一方の大将軍を承る。胤正は葛西清重と一緒に行きたいと言ったので、奥州にいる清重に胤正を相伴うよう書状が送られる。

1月15日、頼朝が二所(箱根神社・伊豆権現)に進発。18日に伊豆山に到着。御奉幣の前に、葛西清重が送り出した飛脚2人のうち1人が参着して(1人は途中で病気になっていたらしい)、兼任と御家人の合戦があり小鹿嶋橘次公成、宇佐美平次実政、大見平次家秀、石岡三郎友景等が討ち取られ、由利維平が逐電と報告。これを聞いた頼朝、維平が討ち死にで橘次が逐電の間違いだろうと指摘。翌日、病気で遅れたもう1人の飛脚が到着し、合戦の次第を言上。頼朝の言う通り橘次が逃亡で維平は命を落としたことを報告。
27日に橘次公成本人が登場して、一旦兼任の囲みを逃れて策を練ろうとしたところ、朋輩の讒言がある由を伝え聞いて駆けつけたと言っています。これについて29日に頼朝から奥州へ使者が遣わされ、凶賊が所領内を通ったとしても一身の勲功を立てようとして無勢で合戦を企てて利を失ってはいけない、皆で同心して一所に合戦するように、維平の所為は褒めるべきものに見えるが浅慮だった、公成の遠慮が然るべきである、という内容で注意されているので、橘次の申し立てが認められたようです。

# by kyougen-kigyo | 2020-04-11 11:07 | 考察編

吾妻鏡、文治5年10月から再開

前回が文治5(1189)年10月24日に頼朝が奥州から鎌倉へ帰着したところまでだったので、その続き。すごく間があいてしまいましたが、吾妻鏡記事は「考察編」というカテゴリにまとめてありますので、興味がある方は絞り込んでみてください。

10月26日、葛西清重の母が病気とのことで、使者に様子を見に行かせる。大したことはなかったようで、清重はそのまま奥州に在国。

10月28日、安芸国の葉山介宗頼という者が奥州追討に参加するため駿河国まで来たのに、すでに頼朝が進発したと聞いて帰ってしまったと景時から報告あり、宗頼は所領没収。安芸から奥州は遠いですから…御家人も大変です。

11月1日、供御の甘苔を伊豆国の乃貢として京都へ進上。

11月2日、牧六郎政親という人物が泰衡と通じていたという情報により北条殿預けになる。牧氏といえば時政の妻、牧の方の一族。牧氏は何かと不穏な動きに絡んでいることが多いようで…牧宗親は亀の前事件の時に頼朝から叱責されて髻を切られているし(これで恨みを持ったのでしょうか)、後には時政と牧の方による実朝暗殺未遂事件もあります。政親は宗親の息子とか兄弟とかでしょうか?調べきれてません。

11月3日、奥州から京都へ送った使者が帰ってくる(9月18日に朝廷へ送った手紙の返事と思われます)。内容は御感の院宣、降人の処遇は任せること、功のある郎従についての勧賞のこと。勧賞については11月8日の大江広元上洛の条で固く辞退する旨が記されています。これも幕府の独立性を守るため、朝廷の介入を防ごうということでしょう。朝廷からの勧賞を御家人たちが直接受けるということになると、頼朝と御家人の間の御恩・奉公関係が崩れて朝廷との間の御恩・奉公関係になってしまいます。
これとは別に武衛(一条能保)からの手紙があり、前大蔵卿泰経・前木工頭範季・前大納言朝方・出雲守朝経の勅勘が許されたことの報告。

11月17日、頼朝が大庭の辺りの鷹場歴覧。渋谷庄司の所領に至り狐1匹、頼朝の馬の前を走る。頼朝が矢を射ようとする時に、千葉胤信の郎従篠山丹三という弓矢の名人が頼朝の馬の右手に進み寄り、同時に射ると、頼朝の矢は当たらず丹三の矢が当たる。頼朝は自分の矢が当たらなかったことを知りながら射当てた時にあげる声をあげ、丹三はすかさず狐に刺さった自分の矢と頼朝の矢を取り替える。その後、渋谷庄司重国の屋敷で酒宴、翌日営中に帰ってから丹三を召して褒詞。やっぱり頼朝、実戦には弱いんですかね…矢が外れる予測されてますね。今の藤沢市周辺での出来事と思われます。
ところが『愚管抄』を見ると、こんな記述が。
 頼朝ハ鎌倉ヲ打出ケルヨリ、片時モトリ弓セサセズ、弓ヲ身ニハナツ事
 ナカリケレバ、郎従ドモモナノメナラズヲジアイケリ。手ノキキザマ
 狩ナドシケルニハ、大鹿ニハセナラビテ角ヲトリテ手ドリニモトリケリ。
 (『愚管抄』巻第五の最後の方 日本古典文学大系 岩波書店)
大鹿を手獲りにって…だいぶ様子が違うんですけど…一瞬、この前の文章に出てきている畠山重忠の話かと思いましたが、何度読み直してもここは「頼朝」が主語ですし。京都向けのイメージ戦略でも流していたんでしょうか?「頼朝ハ」ではなく「頼朝ガ」ならば重忠の話の続きと読めます。重忠ならば大力で有名な人物ですから鹿を手獲りにした話があっても良さそう。

11月23日、大倉観音堂が失火により焼失。別当の浄臺房、これを見て悲しみ炎の中に走り入って無事に本尊薬王菩薩を助け出す。

11月24日、奥州征伐後に伽藍を建立するという願を立てていた北条時政、その沙汰のために伊豆へ下向。6月6日に記述がある願成就院のことです。12月9日の条には、願成就院の北に頼朝の宿館を建てるため土を掘ったら古い額が出てきて、そこには「願成就院」と記されていたので嘉瑞として願成就院の額として使った、という話が出てきます。願成就院は現存しますし、伊豆にもそのうち行って見たいと思ってます。

12月9日、御厩を建て、奥州の上馬30匹を入れる。
同日、奥州の死者追悼のための寺院である永福寺の事始め。奥州で見た大長寿院の二階大堂に模して二階堂という。「二階堂」は今も地名として残っています。永福寺跡は鎌倉を訪れた際のブログで時々、写真をアップしていますが、きれいに整備されていてAR永福寺というスマホアプリもあります。

12月23日、木曽義仲と藤原秀衡の子息が同心して鎌倉に発向との噂あり。翌日、工藤行光らが奥州に向かい、防戦準備。

12月25日、明年の上洛決定。
いよいよ頼朝上洛に向けて動きますが、この辺りでは『玉葉』には幕府方の話は出てきません。何もなかったというより、兼実さんは自分の娘の入内で大忙しでそれどころではなかったようです。

久しぶりに吾妻鏡ネタを書きましたが、なるべく続けてアップしていければ良いなと思っています。再来年の大河ドラマが北条義時だそうですが、義時が活躍する時代まではまだ10年くらいあります…。再来年までに到達できるのか、このブログ?

# by kyougen-kigyo | 2020-03-27 21:56 | 考察編

つなぐ人フォーラム報告③

【3日目】
最終日は2.5時間ワークショップ。2日目の夜に即興で企画される、このフォーラムの目玉行事です。今回は9つものワークショップがエントリーしましたが、ツナギストを誘ってワークショップを成功させるという役割を果たしたので、あとはあまり考えなくてよいところに参加したい。と思って、また石を積んでました。今回は自分と自分のツナギストの実施部分以外は石に触ってることが多かった。一緒に参加していた人と「これなら賽の河原が楽しくなるかも?」とか話してました。
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偶然、窓の外を眺めている人みたいな写真になった作品。同じ作品でも反対側から撮ると全然別な雰囲気に。
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朝から雨でしたが(2月の清里なのに雪ではなく雨!)、外に出てその辺の石も積んでみる。写真家さんも参加していてプロの指南を受けながら石積み&撮影会。自分で撮るとこうなのが
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プロが撮るとこうなる
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同じスマホで撮ったものとは思えない石の質感…

事務局・ボランティア含め総勢100名近く集まってのワークショップ大会、今年も各分野の面白い人たちとつながり、とても充実した2泊3日を過ごすことができました。ありがとうございました。
(了)

# by kyougen-kigyo | 2020-02-18 23:59 | その他

つなぐ人フォーラム報告②

【2日目】
9:15~ 45分ワークショップが5会場でそれぞれ6コマ、合計30本が実施されました。私は以下に参加。

①ロックバランスに挑戦してみよう(吉田立さん)
ひたすら石を立てるワークショップ。大人たちがしゃがみ込んで石を積むという、かなり怪しい部屋になってました(笑)不安定に見えて意外と立つのでけっこうはまります。
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②サボり。6コマ全部出ると頭が疲れてしまうのです…ジャージーハットのチョコソフト(季節限定)食べて、八ヶ岳自然ふれあいセンターに展示されていた鹿の骨で遊んでました。

③時は江戸時代…で始まる中学理科授業(和田健さん)
中学校の先生による理科の授業。江戸城の石垣を作るために伊豆で切り出した石をどうやって船で江戸まで運ぶか?をバケツの水と船に見立てた板と石で実験。こんな授業をやってくれてたら理科嫌いにならずに済んだのに…

昼休みはヤマネミュージアムへ。暖かすぎて冬眠できないのではと心配していましたが、寝ているヤマネ見ることができました。

④室町時代とつながろう~動物物語から入る日本の中世(松田佳代)
自分の実施ワークショップ。中世を知ってほしいということから御伽草子「獣太平記」の一部を参加者で輪読。くずし字についても少し解説しながらタヌキの物語を楽しく読みました。理科もそうですが、楽しくないと頭に入りませんから。あとで「面白かった!」と何人かから言っていただけたので、少しは中世の空気読めたかな。参加者13名。

⑤素晴らしい手漉き和紙─日本画修復に使う紙を中心に─(嶋根隆一さん)
私が誘ったツナギスト2人目。東洋書画修復の(株)伝世舎から来ていただきました。楮や和紙の作り方・種類についてのお話。参加者は実際に原料や様々な和紙に触れて盛り上がっていました。実物に触れるって、大事。参加者15名。
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⑥縄文土器の復元図を描いてみよう。(石原道知さん)
私が誘ったツナギスト3人目。埋蔵文化財全般を修復している方ですが、今回は特に縄文土器について語っていただきました。土器の文様の一部を隠したテキストを使って文様を推測するクイズ形式。参加者10名。
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初参加が半分以上いるのに毎回、食いつきの良い人々ばかりというのがすごい。自分の知らないモノ・コトに対する好奇心が非常に強い人が集まっているので質問もどんどん出る、実施者側もいろいろ気付かされる。質疑応答は交流会の間も続く…。
この日も夜空が綺麗でした。
(つづく)

# by kyougen-kigyo | 2020-02-18 21:41 | その他

つなぐ人フォーラム報告①

2月14~16日の2泊3日、清里の清泉寮にて「つなぐ人フォーラム」に参加してきました。
今回はただの参加ではなく「サソイビト」という役割での参加。つなぐ人フォーラムでは「ツナギスト」と呼ばれる人々が主にプレゼンテーションやワークショップをしますが、ツナギストを誘って連れて行く役がサソイビト。この季節、年度末ということで誘っても来てくれないことが多いのですが今回は半ば強引に修復のお仕事展メンバーを3名、連れて行きました。

【1日目】
実行委員会に出るため一般参加者より早めに到着。サソイビトは実行委員ではないのですが準じる感じで進行の打合せ。昼食は清泉寮カレー。それにしても、2月の清里だというのに暖かい。いつも30%OFFくらいにはなっている「寒いほどお得フェア」が発動してません。
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13:15から開会式・オリエンテーション。
14:30からいよいよ3会場でそれぞれ5コマの10分プレゼンテーションが始まります。私が出席したのは以下。

①文化財(モノ)を伝える~心を育てる(八木三香さん)
私が誘ったツナギスト1人目。NPO法人文化財保存支援機構の活動と、その活動の先にあるもの。参加者19名。
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②カブトガニと広報と未来(久保園遥さん)
カブトガニ愛にあふれる広報担当者のお話。

③高校って何するところ?(海上尚美さん)
高校は入試対策するだけなのか?もっと開かれた場であっても良いのでは?という高校の先生からの問題提起。

④星野道夫とスピリチュアリティ(濁川孝志さん)
写真家で熊に襲われて亡くなったという程度のことしか知りませんでしたが、奥が深い。

⑤絵日記で世界をつなごう(小林絵里子さん)
自然観察を絵日記にするネイチャー・ジャーナルの紹介。絵日記苦手感がなかなか拭えない私ですが…

16:40からの全体会で2日目の45分プログラムにサインアップした後、夕食~交流会と称する飲み会。同席した看護師さんにバルーンアートを教えていただきましたが、今にも割れそうな気がしてこわい!(実際はそう簡単には割れないようです)
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事前の天気予報では天気悪そうだったのですが、この日は晴れていて星空が綺麗でした。
(つづく)

# by kyougen-kigyo | 2020-02-18 21:03 | その他


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by 柴

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