人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ちょっと鎌倉へ

鎌倉文学館が2023年3月27日から2027年までの長期休館に入るというので、その前に行ってきました。私、文学部出身ですが古典メインで近現代文学はあまり得意ではありません(一応、明治大正くらいまでは読んでいる)。今回の展示は古典も絡めた「鎌倉文学年表 古典編」だったのと、建物やお庭がしばらく見られなくなってしまう、ということで。

続きを読む
# by kyougen-kigyo | 2023-03-18 12:27 | 鎌倉歩き

国会図書館デジタルコレクションの全文検索機能。

書かないうちに年越してしまいました。

そしてしばらく見ないうちに国会図書館デジタルコレクションがリニューアルして、タブに「全文検索」というのが追加されたんですね。例えば「この人、他の所にも出てこなかったっけ?」がすぐに検索できてしまう。すごいです。図書館で借りまくって全部読んで抜き出してた時代が懐かしい。それはそれで、全然関係なく目に入った部分がカギになったりもするので、デジタル検索一択にしてしまうと探索の幅や面白さが狭まってしまう感じはしますけれども。うまく併用していきたいものです。
背景色もライトモードとダークモードが選択できて目に優しくなった?

とりあえず今回はデジタルコレクションがバージョンアップしている。という話でした。

# by kyougen-kigyo | 2023-01-19 14:47 | 考察編

建久2年の山門騒動つづき

(承前)
建久2(1191)年の『吾妻鏡』から。
4月16日、梶原景時が定綱等の罪科を決定するよう奏聞するため、使節として上洛。
(『玉葉』より:4月19日、法皇還御)
4月26日、さらに後藤基清が使節として上洛。山門側は定重を斬罪にすべしと強硬に主張。
4月30日、延暦寺からの使者2名が鎌倉まで来て、定綱父子と、父子の他に下手人として5名の身柄引き渡しを要求。
5月2日、京都にいる大江広元からの飛脚で、去る26日、山門の衆徒が八王子・客人・十禅師・北野等の神輿を戴き強訴したので、朝廷で群議があり、定綱らは死罪一等を減じ遠流と定まった旨の報告あり。また、強訴が行われた当時、禁裏守護番だった安田義定の飛脚も到着。神輿入洛の時、抵抗してはいけないとしきりに検非違使別当から言われたので謹慎していたところ、家人4人と所従3人が山徒のために刃傷されたと報告。


続きを読む
# by kyougen-kigyo | 2022-08-05 10:54 | 考察編

建久2年の山門騒動

前回更新が4月だ…ややこしい案件が出てきて挫折してました(言い訳)。

建久2(1191)年4月5日
京都にいる一条能保と大江広元からの飛脚が鎌倉に参着し、近江の守護佐々木定綱の息子、定重が日吉大社の宮仕法師らを殺傷したため延暦寺の山徒が蜂起し定重の身柄引き渡しを求める騒動が起きていると報告。騒動の発端は、近江国佐々木庄で去年水損があり、延暦寺への乃貢が欠乏したこと。延暦寺の衆徒が日吉の宮仕を遣わし、日吉社の神鏡を捧げて佐々木氏の屋敷に乱入させて譴責、恥辱に及んだので、定重が堪えられず怒って刃傷沙汰となり、その際に誤って神鏡も破損した、という経緯です。

京都に近い近江で山門が絡んでいるとなれば『玉葉』にも朝廷側の動きが出てくるのでは、と確認したら、やはり記録されていました。『吾妻鏡』より詳しいくらいなのでちょっと原文を抄出します。


続きを読む
# by kyougen-kigyo | 2022-08-02 16:43 | 考察編

建久二年の大火と鶴岡八幡宮

大河ドラマのおかげさまでだいぶ前の記事を読んでいただけているようで…すみません、大河見てません。見たくないとかでは全然なく、面白そうだと思いつつ、テレビを見る習慣がないのでつい忘れるんです…NHKプラスも導入してないし。まぁ、こちらはこちらでマイペースに書きます。

吾妻鏡は建久2(1191)年3月から。
3月3日、鶴岡八幡宮の法会と臨時祭で頼朝も御家人たちと共に参詣。祭りが終わって頼朝還御の後、供奉した人々が残って話をしている中で、広田次郎邦房という人が朋輩に「明日鎌倉に大火災が起きて若宮も幕府も難を免れない」と発言。この人物、儒道が家業の大和守維業の息子とのこと。この時は邦房が笑われて終わるのですが、翌4日の丑刻、南風が烈しい折に小町大路から出火。御家人の屋敷や幕府、若宮の神殿・回廊・経所などが焼亡。頼朝は寅刻に安達盛長の甘縄の家に避難。しばらくそこで生活していたようです。

8日、焼亡した若宮の仮宝殿造営の事始め。今でも神社仏閣で火事が起きるとニュースになったりはしますが、当時の神社仏閣の存在感は現代の比ではないので、頼朝も自分の生活する建物が焼けたことより若宮が焼けたことの方がショックだった様子。
13日に仮殿に遷宮。8日が事始めですから、この仮殿は本当に仮の建物だったのでしょう。それでも随兵百余人を連れて頼朝参詣。
27日、若宮の仮経所始めで僧が読経。

4月3日、鶴岡臨時祭は通常通り執行。そして先月焼けてしまった幕府の造営事始め。
26日、「鶴岳若宮上之地」に八幡宮を勧請、今日上棟。ここで初めて、鶴岡八幡宮が今のように街を見晴らす高台に造営されます。


# by kyougen-kigyo | 2022-04-30 10:17 | 考察編


鎌倉、登山、日本刀、その他諸々


by 柴

カテゴリ

全体
鎌倉歩き
考察編

日本刀
展覧会
リンク集
その他
未分類

以前の記事

2023年 03月
2023年 01月
2022年 08月
2022年 04月
2021年 10月
more...

最新の記事

ちょっと鎌倉へ
at 2023-03-18 12:27
国会図書館デジタルコレクショ..
at 2023-01-19 14:47
建久2年の山門騒動つづき
at 2022-08-05 10:54
建久2年の山門騒動
at 2022-08-02 16:43
建久二年の大火と鶴岡八幡宮
at 2022-04-30 10:17

最新のコメント

外部リンク

ファン

検索

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
登山

画像一覧