リンク集更新しました

だいぶ前にまとめたリンク集ですが、若干の加筆修正しました。

●鎌倉関係
・鎌倉市
 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/ 
 鎌倉市の公式サイト。HP左上の「かまくら観光」バナーから観光情報に入れます。

・武家の古都鎌倉 世界遺産登録を目指して
 http://www.bukenokoto-kamakura.com/
 神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市が共同で作っている世界遺産登録推進委員会のサイト。
 登録には至りませんでしたが、遺跡の紹介などあります。

●歴史データベース類
・国立国会図書館デジタルコレクション
 http://dl.ndl.go.jp/
 著作権保護期間の切れた書物が画像公開されています。吉川本『吾妻鏡』もこちらから。

・国文学研究資料館
 http://www.nijl.ac.jp/
 「電子資料館」から色々な史料データベースを見ることができます。
 吾妻鏡データベースはこちらから。

・東京大学史料編纂所
  http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
 「データベース検索」から史料データベースを見ることができます。
 花押やくずし字データベース、鎌倉遺文フルテキストデータベースも。

・東京国立博物館デジタルライブラリー
http://webarchives.tnm.jp/dlib/;jsessionid=AAAF7AA5D3B72D1CCB901DBE54B8635A
 最近、公開された東博の和書、洋書、漢籍デジタル画像。今後も史料追加されるようです。

●日本刀関係
・テノウチ・ムネノウチ待ち伏せ編
 http://ameblo.jp/kokaji-akihira/
 埼玉の刀鍛冶、川崎晶平さんのブログです。
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# by kyougen-kigyo | 2015-04-06 21:11 | リンク集

多賀城~玉造

文治5年8月13日、北陸道を進軍していた比企能員・宇佐美實政ら、出羽の国に入って泰衡郎従の田河大郎行文、秋田三郎致文らを梟首。頼朝、多賀国府へ。

14日、泰衡が玉造郡にいるという風聞があり、また国府中山上物見岡に陣取っているという報告もあり、迷った末に主力は黒河(黒川郡)を経て玉造へ直行、物見岡へは小山朝政・宗政・朝光、下河辺行平らを派遣。物見岡では確かに陣はあったのですが大将軍はすでに逐電、幕だけが残されており、4、50人の郎従がそこに留まっていましたが全員が梟首あるいは生捕りになりました。物見岡を制した後、朝政が大道に出て主力と合流するべきだろうか、というと行平が「玉造郡合戦者、可為継子(事)歟、早追可参彼所者」と答えています。私は基本的には吉川本『吾妻鏡』(国書刊行会。国立国会図書館のデジタルコレクションで全文公開されているので便利)を使っています。この「継子」の部分、わからなかったので『現代語訳吾妻鏡』(吉川弘文館)と岩波の読み下し版『吾妻鏡』の助けを借りようと思いましたが解釈が分かれているようで…

『現代語訳吾妻鏡』では「継子」を地名と見て、「継子で合流しよう」というニュアンス。注釈には宮城県石巻市に継子前の字があるが未詳、と書かれています。岩波文庫版『吾妻鏡』では「子」ではなく「事」を採用して「継の事たる可きか」、つまり玉造郡の合戦は物見岡に続く合戦だから早く行こう、という意味でしょうか?
両書、全然違う解釈。私にはどちらとも判断付かないのですが、ただ、地名の「継子前」説をとると、この後の進軍経路がちょっとおかしくなるような気がします。20日の卯の刻に、頼朝軍は泰衡の「多加波波城」を囲んでいます(泰衡は逃亡済み)。「多加波波城」は『現代語訳吾妻鑑』では「たかばば」と振り仮名を振っているものの、所在地未詳、一説に宮城県大崎市岩出山字葛岡、と注釈があります。多加波波城を取った後、葛岡郡に出て平泉に赴く、と書かれていますから、多加波波城がどこであったにせよ多賀城からは内陸方面に向かったわけです。ところが継子前は石巻市ですからだいぶ海側。14日条の「経黒河」という経路からもちょっと逸れてしまいます。だから注釈でも「未詳」の一言が付いているのでしょう。現代の字・継子前は関係なしにどこかに「継子」という地名があったのかもしれませんが。研究し尽くされていそうな書物でもまだまだ分からないことは多そうです。

さて、多加波波城の奥州勢は合戦するまでもなく投降。20日の夜、頼朝は先陣の軍士らのうち、小山・三浦・和田・畠山・武蔵国党の者たちに今後の合戦における注意事項を書いた書状を遣わしています。曰く、平泉で泰衡が立て籠もったら僅か千騎、二千騎で馳せ向かってはならない、二万の軍兵を調えて競い至るべし、すでに敗北した敵であるから味方に一人も害が無いように。ここまでは関東勢、かなり突っ走って抜け駆けしたい放題という感じでしたが、もう大勢が決したのだから被害は少なくするように釘を刺された形です。
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# by kyougen-kigyo | 2015-04-05 20:38 | 考察編

まんだら堂行ってきました

先日、まんだら堂やぐら群を見に行きました。
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モクレンが見事。桜も蕾がふくらんでいましたが、咲く時期は非公開なんですね…
それにしても土曜日だったのに相変わらず人がいないので、時間を気にしないなら遺跡解説員の方にいろいろ質問できます。
そのあと、五所神社の板碑など見学しながら海岸へ。この日は青磁3個収獲。大きさは2~3センチ程度です。
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話は違いますが、水曜日に渋谷の観世能楽堂さよなら公演、行ってきました。学生時代によく行った能楽堂ですが、老朽化で3月いっぱいで閉鎖して銀座に移転するとのこと。最近ご無沙汰でしたが、最後なのでお別れに。演目は「道成寺」、面白かった。後シテの面が古そうで変わったものだと思っていたらロビーに使用能面の紹介が貼ってありました。なんと、「泥蛇 赤鶴 鎌倉時代」。赤鶴!展覧会などで見たことはありますが舞台で使っているのを見たのは初めてです。ちなみに前シテは「若女 元章 江戸時代」、でした。さすがにさよなら公演だけあって良いものを使っていたのですね。
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# by kyougen-kigyo | 2015-03-27 07:06 | 鎌倉歩き

阿津賀志山の論功行賞

文治5年8月11日、阿津賀志山を越えた頼朝軍は船迫宿に逗留。畠山重忠が国衡の首を献じたので大いに褒めた所、最初に矢を射た和田義盛が自分の功績であると言上して、重忠と功績の争論になりますが、国衡の鎧を取り寄せて確認すると射向の袖3枚を射通した痕跡がはっきりと残っていました。頼朝が重忠に矢を射たかどうか尋ねると重忠ではないとの答え。こんな矢の跡を残せるのは重忠でなければ義盛しかいないということで、義盛の功績に間違いなしという結論になりますが、重忠は義盛が矢を射たことを知らず郎従が首を持ってきたから重忠の功績と思ったので…という重忠擁護論が展開されています。吾妻鏡、ここまでもそうでしたが、ずいぶん重忠さんを持ち上げている。
翌12日、抜け駆けの中にいた13歳の河村千鶴丸の活躍を頼朝も聞いていたので、父の名を尋ねると河村秀高の四男である由。そこで俄かにその場で元服することになり、千鶴丸改め河村四郎秀清と名乗ることになります。河村という苗字、見覚えがあると思ったら石橋山の合戦の時に大庭景親側に与して捕らえられた河村義秀の弟にあたるとのこと。母の計らいで身を隠していたのが、ここで頼朝に認められて河村家再興成ったということですね。ちなみに兄の義秀も後に許されています。
この日、太平洋岸を進軍していた千葉常胤・八田知家の軍も合流しています。

ところで阿津賀志山防塁跡を含む地域が、文化庁の「歴史的風致維持向上計画」に認定されたようです。
文化庁の報道発表ページへ
http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/2015022301.pdf
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# by kyougen-kigyo | 2015-03-01 13:25 | 考察編

阿津賀志山越え

11月から吾妻鏡の記事あげてませんでした…いよいよ阿津賀志山を越えるところ。
文治5年8月9日の夜、明朝に阿津賀志山を越えて合戦を遂げることが決定。ところが三浦義村、葛西清重、工藤行光、工藤祐光、狩野親光、藤沢清近、河村千鶴丸の7人が抜け駆けしようと先陣である畠山重忠の陣をこっそり通過。ちなみに千鶴丸は13歳と注記あり。これに気付いた重忠の郎従の成清が「面目ある先陣なんだから抜け駆けは止めるべきだ」と重忠を諫めますが、重忠曰く「すでに先陣を承っている以上、重忠より先に合戦する者はみな重忠の勲功とすべきであり、かつ先に行きたがっている連中を妨げるのは武略の本意ではなく、また自分が恩賞を欲しがっているように見えるから」と抜け駆けの7人を止めることはしません。

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# by kyougen-kigyo | 2015-02-08 10:10 | 考察編


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