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公開鑑賞会

前記事に続けようと思ったのですがカテゴリーが違うので別でUPします。日本刀文化振興協会の公開鑑賞会に行ってきました。この鑑賞会は実際に作っている方々が解説に回ってくださっているので面白いのです。

今回は、鐔や目貫だけでなく能面を写した金具とか(煙草入れの前金具か何かでしょうか)、大根と蕪を彫った小箱とかも出ていました。あの箱、良かったな。能面は三井記念美術館にある「孫次郎」を写したものでした。
刀剣は宮入昭平・宮入行平・大隅俊平・三上貞直・久保善博・明珍宗裕・吉原國家というラインナップ、大ぶりの太刀が多め。土置きをしないで焼き入れたという久保刀匠の短刀がありました、面白いものです。「ずぶ焼き」と言いましたか、確か身延の吉田刀匠がこの手法で作刀されていると刀屋さんで聞いたことがあります。
途中で入る解説は刀装具は金工師の泉公士朗氏、刀剣は宮入行平刀匠、拵えは鞘師の高山一之氏。高山氏からは「良いものを自分で一つ持つとそれが基準になって他のものの良し悪しも分かるようになる、変なものを持ってしまうと基準が悪いものになってしまう」という主旨のお話がありました。知人の陶磁器専門家がまったく同じことを言っていまして、どの世界も同じだな、と思います。高山さんの雁の鞘は何度か拝見していますが、目貫の雁がかわいい…目貫なんかに嵌りだしたらそれこそキリがないんですが…
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by kyougen-kigyo | 2014-05-25 18:37 | 日本刀

奥州と貴海島(つづき)

文治4年(1188)の上半期は奥州関係と貴海島関係が同時並行で進んでいます。

3月5日、鎮西から宇都宮信房の書状到来。貴賀井島の海路を図にして献覧。貴海島だったり貴賀井島だったりするので統一しようと思ったのですが、両者使用頻度同じくらいなんですね…頻出語句ではないのでまぁ、どっちでも良いか。みんなから行くのは難儀だと言われて思いとどまっていた頼朝、信房の絵図を見てそんなに大変じゃないかも?と計画再開。難儀だと言っていた人々は鎮西に行ったことがない人々がほとんどだったでしょうから、イメージと「難儀」の尺度が違っていたと思われます。

4月9日、奥州の泰衡に対して義経を捕らえるよう命じる宣旨と院庁下文を帯した使者が鎌倉に到着。宣旨に曰く「義経無所容身、逃下奥州、擎先日之毀符(以前に出された頼朝追討の宣旨を指す)、称当時之詔命、相語辺民欲令野戦云々、件符者、縡不出従叡襟、自由之結構、武威之所致也、」・・・頼朝追討の符は叡慮から出たものではなく撤回したものだと改めて強調していますが、綸言汗の如し。一度出した宣旨を無かったことにするのは難しい。義経としては使えるものは使うでしょうから「毀破旧符」を有効な宣旨として人集めに利用するのは当然だったでしょう。

5月17日、天野遠景らが貴賀井島に渡って合戦を遂げ、平定したとの言上あり。誰と合戦したのかは不明ですが、とりあえずこれで西の方の問題は収まった形です。

6月11日、泰衡から京へ献上する馬・金・絹などが大磯に到着。三浦義澄がこれを召し留めるべきかと言いますが、頼朝は公物だから留めることはできないと回答。

奥州情勢が緊迫する中ですが、7月10日、万寿公(後の頼家)の鎧の着初め式が行われています。寿永元年(1182)生まれですから7歳のお祝いというところでしょうか。鎌倉は後継者もいて安泰である、ということを示す意味もあったと思います。
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by kyougen-kigyo | 2014-05-25 18:08 | 考察編

奥州と貴海島

文治3年(1187)、秀衡入道が義経を扶持して反逆を起こしている由を頼朝が訴えるので、院庁下文が陸奥の国に下され、その時に関東からも雑色が遣わされていたのが9月4日に帰参。秀衡は異心は無いと言っているけれども雑色が言うには既に用意(反逆の)があるようだ、ということで、その雑色を京都へ行かせて奥州の形勢を言上。
この翌月、秀衡は死去。義経を大将軍として国務を取らせるようにと跡継ぎの泰衡に遺言したと、吾妻鏡には記されており、玉葉の文治4年正月9日条にも噂として「以義顕(義経)為主君、両人(秀衡の息子2名)可給仕之由有遺言」とあります。事実ならば秀衡は相当、義経に肩入れしていたわけですが、奥州の統治者の跡継ぎである息子たちとしては、親からそう言われて、どうだったんでしょう。

一方、頼朝が奥州と同じくらいに執着していたらしいのが、奥州とは正反対にある貴海島。これは今の喜界島ではなく鹿児島県三島村の硫黄島ではないかということです。この島に義経に同意した輩が隠れているのではないかという疑いがあったので(というのは表向きの理由だと思いますが)、9月22日に宇都宮信房と天野遠景が鎮西へ派遣されました。
調査報告の書状が遠景から届いたという記事が翌年の2月21日にあります。郎従らを島に渡らせ形勢を調べた結果、追捕は子細ないけれども、鎮西の御家人が一揆(この場合の「一揆」は一致、同意、結束、というような意味)しないので重ねて御教書を下してほしい。信房は自分で渡海しようとしていたのを遠景が止めたので親類を遣わした。という内容。
貴海島追捕の噂は京都にも届いていて、計画を知った九条兼実から、行くのは大変で軍士の煩いとなるだけだからだからやめた方がいいと真っ当な意見を言われた頼朝、少し延期。玉葉の方に何か記事があるかと思ったのですが、ざっと見た感じでは有りませんでした。兼実のことだから、もっと丁寧に読めば書いてあるのかもしれませんが。最近史料の読み込みをさぼっているもので。

そろそろ鎌倉にも行きたくなってきました。文学館のバラ園が見ごろだろうな・・・
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by kyougen-kigyo | 2014-05-18 21:27 | 考察編

北横岳

去年もちょうど今頃、登ってましたが今年も北横岳に行ってきました。同行者2名。
今年は暖かい。去年は長袖Tシャツに長袖シャツ、フリースを重ねていたのが今年は半袖Tシャツに長袖シャツでOK、寒いつもりで準備していったフリースは暑くて着ませんでした。暖かいつもりで行って寒いよりは良い。

雪は2月の大雪で多かったはずなのに、去年よりもずっと少なくグズグズに腐って歩きにくい。6本爪アイゼンが活躍しました。踏み抜き跡も多数。道の脇で踏み抜いているのはわかるのですが、トレースの真ん中に深い踏み抜きがあったりして落とし穴状態でした。一気に融雪が進んでいます。去年の残雪が特に多かったのだと思いますが、年によって随分違うものです。

天気は最高、360度展望良し。単眼鏡で覗いたら硫黄岳の爆裂火口もよく見えました。

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by kyougen-kigyo | 2014-05-04 18:17 |


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