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唐松岳~五竜岳登山

有給休暇とって1泊2日で登ってきました。同行者1名。白馬~八方尾根~唐松岳頂上山荘~(五竜岳)~遠見尾根~神城コース。

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by kyougen-kigyo | 2013-08-30 23:11 |

平家追討使、四国編② ~壇ノ浦~

文治元年(1185)2月19日に屋島の合戦、さらに志度の合戦でも負けた平氏勢は九州方面へ逃れます。1ヶ月後の3月22日、義経は壇ノ浦を目指して出航。この間、何をしていたのかは吾妻鏡からは不明ですが、範頼から相変わらず兵糧がない、船がないと嘆く手紙が頼朝に送られて、関東から兵糧米を載せた船が出ていますから、範頼との連携のためにその到着を待っていたのか、四国内に残る平氏方の追討をしていたのか。この年、西国は飢饉だったようですから義経勢だって兵糧は不足していたはずだし。

3月21日、周防国の船奉行・船所五郎正利が兵船数十艘を提供。22日に義経が出航したことを聞きつけた三浦義澄、この人は範頼勢が豊後に出陣するときに防備のため説得されてしぶしぶ周防に残ったのですが(九州編参照)、大島津という所で義経勢に合流。大島津については『現代語訳吾妻鏡』の注では「周南市南部か」とあるので地図で見ると確かに周南市南部に大島という地名が見えます。大島のようないくらでもある地名は比定が難しい。義経は、義澄はすでに門司の関を見ているのだから、と案内役を命じ、壇ノ浦へ進軍。平氏勢も彦島から出てきます。
ところで、平家物語だと義経は「周防の地へ押渡り、兄参河守と一つになる」とありますが、吾妻鏡の壇ノ浦合戦には範頼に関する記述なし、実際はどうだったんだろうか、影の薄い人で…京や鎌倉への報告も義経から送られています。

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by kyougen-kigyo | 2013-08-24 22:30 | 考察編

大阪歴史博物館、エヴァンゲリヲンと日本刀展

(承前)
大阪2日目は、朝一で大阪歴史博物館へ(9時半開館)。
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朝から暑い。でも博物館の受付はもう人が並んでました。特別展の「エヴァンゲリヲンと日本刀展」に直行する人がほとんどでしたが、中には夏休みで常設展を見に来ている、多分地元の小学生もいて、そういう人も同じ列に並ばなければならないのがちょっとなぁ。と思いました。常設展だけの人用受付を1つ設けると親切なのでは。人手が足りないかもしれませんが。常設展のチケットだけは自販機にするとか。

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by kyougen-kigyo | 2013-08-17 08:55 | 展覧会

吾妻鏡を歩く、大阪編 ~渡辺の津を探して~

大阪一泊旅行してきました。大阪って、乗り換えに使うばかりでちゃんと見たことがなかったんです、学生時代の学会帰りに四天王寺の「極楽の東門」の石鳥居を見た程度で、「大阪に行く」という目的で大阪に行ったことがない。今回の目的は大阪歴史博物館でした。

大阪歴博に行くついでに、前回のブログで出た摂津国渡辺の津を探してきました。『現代語訳吾妻鏡』の注では慎重に「大阪市北区・福島区・東区一帯」とあるのですが、それだとだいぶ広範囲になってしまいます(「東区」って見つからないのですが)。淀川下流域で、新淀川ではない旧河川の方で、埋め立てで海岸線が変わっているから…と地図を見ていてこの辺か?とあたりを付けた所にドンピシャ、「渡辺橋」。地図って楽しい。実際に出掛けていくと方向音痴なんですけどね…
大阪市立東洋陶磁美術館にも行きたかったので、中之島散策ということに。

参考地図→ http://goo.gl/maps/tK90y

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by kyougen-kigyo | 2013-08-15 19:29 | 考察編

平家追討使、四国編① ~屋島~

2月16日、関東の軍兵、讃岐国へ出発。義経が先陣として出航します。義経の滞在する旅館に来ていた大蔵卿・高階泰経が、「為大将軍者、未必競一陣歟、先可被遣次将哉者」─ 大将軍たるものは先陣を競うのではなく、まず次将を遣わすべきではないのか、と諫めたところ、義経は「殊有存念、於一陣欲棄命」─ 殊に存念あって先陣にて命を捨てようと思う、と答えています。

一方、平氏勢は、宗盛が讃岐屋島に、知盛が九州勢を率いて門司関を固め彦島を陣営と定める。宗盛は義経軍に、知盛は範頼軍に備えた形ですかね。

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by kyougen-kigyo | 2013-08-11 23:14 | 考察編

平家追討使、九州編

平家追討使は九州を範頼、四国を義経が担当していましたが、元暦2年(1185、8月に改元して文治元年)正月6日、範頼から兵糧がなくて御家人たちが逃げ帰りたがっているという書状が鎌倉に到来。頼朝は兵糧と船を送るとともに返書で筑紫の者たちを味方につけるよう(「国の者の心を破らぬ様なる事こそ吉事にてあらんずれ」)、安徳帝を無事お迎えするように(「八島に御座す大やけ幷二位殿女房たちなど少もあやまちあしざまなる事なくて向へ取申させ給へ」)、といったことを伝えています。安徳帝の身については重ね重ね心配している様子。そして範頼に従って九州へ行っている人々のうち、特に千葉常胤、小山氏の人々、甲斐の伊沢信光と加々美長清を大事にするように、とも述べています。

正月12日、範頼、周防より赤間関へ至り海を渡ろうとしたが船も兵糧もなく数日逗留、和田義盛のような者でさえ帰りたがる有様。26日になって、豊後の臼杵惟隆と緒方惟栄の兄弟が82艘の軍船を用意、周防の宇佐那木上七遠隆が兵糧米を献じたので、ようやく豊後へ渡ることができました。北条義時、足利義兼、小山朝政、千葉常胤、和田義盛ら、豊後にわたった人々の名前が列記されています。渡海の拠点である周防を空にするわけにもいかないので三浦義澄が説得されて周防で待機。

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by kyougen-kigyo | 2013-08-04 20:53 | 考察編

800人!

気が付いたら訪問者数が800人(PCのみのカウントですが)ぴったりでした。
中にはほとんど関係ないキーワードで来てしまう人もいらっしゃるとは思いますが。去年の11月に始めて、8ヶ月で800人。単純割りで1ヶ月100人。ブログとしてはすごく少ないんだろうとは思いますが、こんなマニアックなブログでも見てくれる人はいるものですねぇ。検索上位キーワードがいつも日本刀関係なのが嬉しいような悲しいような・・・一応、コンセプトとしては鎌倉・吾妻鏡ブログなんですが(最近は山ブログにもなりつつありますが)・・・やはり他の時代に比べて鎌倉時代ってマイナーなんでしょうね。
読んでくださっている皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
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by kyougen-kigyo | 2013-08-01 20:26 | その他


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