<   2013年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

北八ヶ岳に行ってきました。

GWということで、北八ヶ岳へ。同行者1名。初日はピラタスロープウェイで(最近、北八ヶ岳ロープウェイという名前に変わってますが)坪庭に上がります。相変わらず薄着にハイヒールで来て寒がっている人が、いますねぇ。ロープウェイの山頂駅は標高2230mですよ。寒いに決まってます。
この日は北横岳。前週に降雪で北横岳でもだいぶ積もっていました。とても良い天気で、北・中央・南アルプス、全部見えました。
c0263829_21155848.jpg
北横岳山頂からの蓼科山、背後に北アルプスの雪の山嶺。

ピストンで戻って蓼科1泊、29日にはまたロープウェイで上がって、今度は縞枯山~茶臼山~麦草峠~丸山~賽ノ河原を通って渋の湯。ほぼ全コース雪道。渋の湯へおりる最後の部分が凍結してその氷の上を雪解け水が流れていて、この日一番の難関でしたね。同行者はアイゼンなしで全行程歩きましたが私の力量では不安…なので初日の北横岳登りと2日目の岩ごろごろの賽ノ河原付近以外はほとんどアイゼン付けっぱなし。連休後半は雪の踏み抜きが増えそうな雰囲気でした。
c0263829_21162856.jpg
縞枯山の山頂。縞枯れてます。
c0263829_2116496.jpg
麦草ヒュッテの前でお昼の野菜リゾット作成中。出来上がりの写真は撮り忘れました…
昼食込みで5時間くらいで歩きました。
c0263829_21172072.jpg
お疲れ様な山道具たち、今回の大活躍は6本爪アイゼン。シャーベット状から粉雪まで色々なタイプの雪・氷道があったので、アイゼンの使い方の練習にもなって良い山行でした。
c0263829_21173940.jpg
茅野駅で売っていた、鹿肉ジャーキー。鹿は増えているので食べましょう。「カントリーレストラン匠亭」もちょっと気になる。
[PR]
by kyougen-kigyo | 2013-04-30 13:07 |

上総介広常のこと

寿永2年に唐突に殺されてしまった上総広常。吾妻鏡に広常の名が出てくるのは治承4年(1180)8月24日です。石橋山の合戦に参加しようとしていた三浦一族が、頼朝が敗れたという報を聞いて三浦に戻る途中で、広常の弟・金田小大夫頼次が七千余騎を率いて合流しています。吾妻鏡は数字に信憑性がないので、七千余騎も誇張だと思いますが。

本人が登場するのはそれから10日ほど後の9月上旬。安房に逃れた頼朝が、広常の居所を訪れようと言って3日に出発、しかし途中、長狭六郎常伴という者が襲ってきます。名前からして長狭郡の辺りの住人だったのでしょう。これは三浦義澄が撃退して、4日、安房国住人安西景益が「長狭六郎みたいのもいるから、広常の所には使いをやって迎えにこさせましょう」と提案。頼朝はこの言を入れて側近の和田義盛を上総広常の元へ、安達盛長を千葉常胤の元へ遣わしました。

続きを読む
[PR]
by kyougen-kigyo | 2013-04-17 20:00 | 考察編

今シーズン初、山登り。

シーズン始めの足慣らし・登山靴慣らしのため、高水三山に行ってきました。
c0263829_17181327.jpg

山桜に満開の躑躅、スミレも色々な種類が咲いていて、山も賑わってきましたね。思ったほど混雑していなくてのどかな山行でした。


ところで、このブログの1日のPC訪問者数は多くても5、6人なんですが、13日の訪問者数がいきなり66人で今日は0人。何があったんだろう? 0人なのはわかりますが66人がわからない・・・鎌倉時代の調べ物でもしている人がいるのかな。
ブログを始める時にも書きましたが、私は中世神仏習合史なら詳しいのですが中世史を専攻したわけではありません。歴史学専攻ですらありません。しいて言うなら専門は宗教民俗学です。このブログは独断と偏見と好みで書いてますので、あしからず。
[PR]
by kyougen-kigyo | 2013-04-14 17:19 | その他

寿永二年のこと

亀の前騒動で年が暮れた寿永元年までが吾妻鏡の第2巻。さて、第3巻の正月の記事を読み始めると、 「一日辛卯霽 鶴岡八幡宮有御神楽、前武衛無御参宮。去冬、依広常事営中穢気之故也」。年末に何かあったっけ? と思ってよく見ると、寿永2年(1182)がすっぽり抜け落ちて寿永3年に飛んでいるのです。これは編纂ミスではなく故意に寿永2年分を抜いてあるのだと言われています。寿永2年は頼朝の叔父である志田義広の乱が起きたり、木曽義仲が上洛を果たして平家が都落ちしたり、その義仲は反頼朝であったりと大きな出来事が続いて、幕府の公式記録に載せては都合が悪いことも多かったのではないか─ということです。
そんな寿永2年の12月に、関東の一大勢力だった上総広常が頼朝の命によって殺される事件がありました。それが吾妻鏡のいう「広常の事」。上総介広常、頼朝とすれば第一印象からして悪かったんでしょうね・・・勢力が大きいから功績も大きい。その分、態度も大きくて他の御家人たちといざこざを起こしたりもしています。広常を殺す役目を命じられたのが梶原景時、首尾よく討ち取っています。しかし寿永3年正月、上総国一宮に広常が奉納した鎧から「所奉祈武衛御運之願書」が見つかって「不存謀曲之條」が明らかになり、頼朝は後悔して囚人となっていた広常の縁者を許したと吾妻鏡には書いてあります。

続きを読む
[PR]
by kyougen-kigyo | 2013-04-06 21:00 | 考察編


鎌倉、登山、日本刀、その他諸々


by 柴

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
鎌倉歩き
考察編

日本刀
展覧会
リンク集
その他
未分類

以前の記事

2017年 11月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 06月
2017年 04月
more...

最新の記事

修復のお仕事展ご報告&お仕事..
at 2017-11-20 19:39
展覧会予告「修復のお仕事展’..
at 2017-09-16 10:55
今年も坂城へ
at 2017-08-19 13:18
戸倉三山縦走
at 2017-06-11 14:04
春の山へ
at 2017-04-21 20:27

最新のコメント

外部リンク

ファン

検索

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
登山

画像一覧