阿津賀志山の論功行賞

文治5年8月11日、阿津賀志山を越えた頼朝軍は船迫宿に逗留。畠山重忠が国衡の首を献じたので大いに褒めた所、最初に矢を射た和田義盛が自分の功績であると言上して、重忠と功績の争論になりますが、国衡の鎧を取り寄せて確認すると射向の袖3枚を射通した痕跡がはっきりと残っていました。頼朝が重忠に矢を射たかどうか尋ねると重忠ではないとの答え。こんな矢の跡を残せるのは重忠でなければ義盛しかいないということで、義盛の功績に間違いなしという結論になりますが、重忠は義盛が矢を射たことを知らず郎従が首を持ってきたから重忠の功績と思ったので…という重忠擁護論が展開されています。吾妻鏡、ここまでもそうでしたが、ずいぶん重忠さんを持ち上げている。
翌12日、抜け駆けの中にいた13歳の河村千鶴丸の活躍を頼朝も聞いていたので、父の名を尋ねると河村秀高の四男である由。そこで俄かにその場で元服することになり、千鶴丸改め河村四郎秀清と名乗ることになります。河村という苗字、見覚えがあると思ったら石橋山の合戦の時に大庭景親側に与して捕らえられた河村義秀の弟にあたるとのこと。母の計らいで身を隠していたのが、ここで頼朝に認められて河村家再興成ったということですね。ちなみに兄の義秀も後に許されています。
この日、太平洋岸を進軍していた千葉常胤・八田知家の軍も合流しています。

ところで阿津賀志山防塁跡を含む地域が、文化庁の「歴史的風致維持向上計画」に認定されたようです。
文化庁の報道発表ページへ
http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/2015022301.pdf
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by kyougen-kigyo | 2015-03-01 13:25 | 考察編


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