流鏑馬のこと

最近、吾妻鏡から話が離れているので軌道修正。

文治3年(1187)4月1日、山科に頼朝の宿所の地を所望しています。ついに上京の準備、です。まだ先ですが。

8月1日から15日までの鶴岡放生会が始まるのがこの年。4日には流鏑馬の射手・的立等の役割分担が決められています。熊谷直実、的立の役を命じられて「射手より劣った役だ」と不服申し立て。この役は下職ではなく射手よりも格の高い役なのだ、と説得されてもやらなかったので所領を減らされました。熊谷直実、建久3年(1192)の境相論で不利になったのに腹を立てて遁世しています。平家物語で有名なように敦盛を討ったのがきっかけで出家したのでは全くありません。この文治3年の流鏑馬の件でもずいぶん意固地というか、情の強い人物だな、という印象。敦盛の物語を知ったら本人、驚くでしょうね。怒り出すかもしれません。

9日、鶴岡境内の清掃、馬場の埒の作成。15日が鶴岡放生会の当日です。「有流鏑馬、射手五騎、各先渡馬場、次各射訖、皆莫不中的」と御家人たちが腕を競った後に呼ばれたのが、諏方大夫盛澄。「秀郷朝臣秘訣」を習い伝えた流鏑馬の名手ですが平家に属していたために囚人となっていました。流鏑馬一流が絶えることを惜しんで断罪せずにいたのを召し出して、頼朝の厩で一番の悪馬を賜り流鏑馬を射ることに。厩の舎人がその馬の癖をこっそり教えてくれたこともあって無事、全ての的に射当てますが、今度は小さな土器を五寸の串に挟んだものを3本射るように命じられ、これも全て的中。さらにその串3本を射よという難題を出されますが見事に射切ったので、頼朝も機嫌が良くなり、晴れて罪を許されました。

鶴岡の流鏑馬は何度か見に行ったことがありますが、馬を走らせながら上体がまったく動かないで矢を射る技術はすごいものだと思いましたし迫力ありました。あそこの流鏑馬はサラブレッド(多分)を使っているので当時とはかなり雰囲気が違うとは思います。
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by kyougen-kigyo | 2014-04-28 20:25 | 考察編


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