風邪には気を付けましょう。

先週は風邪をひいてて更新する気力が出ませんでした。めったに病気しないので久々にちゃんと風邪をひいてびっくりした・・・毎朝通勤ラッシュの電車に乗るのに、めんどくさがってマスクをしなかったせいです(多分)。
回復したので吾妻鏡の続き。

文治2年(1186)9月9日、重陽節にあたって藤原邦通が菊花を献上。「被栽北面之壺」とあるので切り花ではなく根付きの状態でしょうか。気に入ったのか、毎秋必ずこの花を進上するように、との仰せ。花の枝には一紙が結び付けられていて、頼朝が開いてみると絶句詩が書いてあった、とありますが、その漢詩の内容までは吾妻鏡には記載がありません。

この後はまた義経の所在探しの話題が続いて、9月22日には在京していた武士・糟屋藤太有季によって義経の家人・堀弥太郎景光が捕まり、佐藤忠信が自害したとのこと。玉葉にも簡単にこの件は記述があります。文治2年9月20日条、「伝聞九郎義行郎従二人(堀弥太郎景光、四郎兵衛尉忠信)、搦取了、忠信自殺、景光被捕得云々」。佐藤忠信、歌舞伎に出てくる狐忠信で有名な人です。屋島の合戦で討たれた佐藤継信の弟で、奥州から義経に従った忠臣。吾妻鏡によれば宇治で義経と別れて洛中に帰り、密通していた女に手紙をやったところ女は現在の夫にその手紙を見せたので、夫は有季に通報。多勢に攻められて洛中、中御門東洞院で郎従二人と共に自害しました。
生け捕りになった堀弥太郎の方はというと、最近義経は南都の得業聖弘という僧侶の許にいたこと、木工頭・藤原範季の所にたびたび使者として赴いたことを白状。そこで南都が捜索されますが、義経は見つからなかった上に南都を荒らされた大衆が騒いで「可停止維摩大会之由」、つまり維摩会をストライキしてやる!と言っているとの風聞が流れました。南都北嶺の扱いの難しさが伝わってきます。この辺のことを玉葉で確認してみると、9月22日条に「昨日卯刻、武士二三百騎、打囲観修房得業聖弘房、忽以追捕寺家、不知何事、仍僧正遣使者被尋之、申云、九郎判官義行在此家、仍為捕取也云々、其上不能是非、然間散々追捕、聖弘逐電了、武士無成事即帰洛、…」という騒ぎで兼実が藤原氏の長者として行おうとしていた春日社の唯識会も延引、兼実にとっては唯識会の方が大事だったようです。ちなみに維摩会は無事執り行われた模様。

11月に入ると頼朝はまた藤原経房宛てに書状を送り、京中諸人が義経に同意しているから義経が捕まらないのだ、と苦情を申し立てています。玉葉の方にもこの書状は出ており、それによれば「南北二京、在々所々、多与力彼男、尤不便、於今者差進二三万騎武士、山々寺々、可捜求也、」と吾妻鏡には出ていない過激な文言。といってもこれは勿論ただの脅しで、それじゃ大ごとになるから公家の沙汰として召し取るべきだ、と続くのですが。堀弥太郎の白状に出てきた藤原範季もこの書状で訴えられて解任に至っています。そして、11月末には義経捜索の宣旨をまた畿内と北陸道に下すこと、京中を捜索すること、諸社奉幣や祈祷を行うことなどが鎌倉に伝えられました。
前にも書きましたが、この時期、義経は勝手に改名されたので吾妻鏡でも玉葉でも「義行」と記されています。
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by kyougen-kigyo | 2014-02-06 19:47 | 考察編


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