西行、鎌倉へ

奈良に行ったり刀の鑑賞会に行ったりしていたので吾妻鏡がどこまで読んだか忘れてしまいそうですが、奥州藤原氏の存在が顕在化してきた文治2年(1186)です。

8月15日。頼朝が鶴岡八幡宮に参詣すると、老僧が一人、鳥居の辺りを徘徊していたので梶原景季に名前を問わせたところ、佐藤兵衛尉憲清法師、今は西行と名乗っているとの返答。そこで頼朝は奉幣が終わったら和歌のことなどお話ししましょう、と誘いました。
その後、大倉御所に招いて歓談。武士としても歌人としても有名な人物ですから、頼朝は歌道のこと、弓馬のこと、いろいろ質問します。この時、頼朝39歳、西行68歳。在俗時代の佐藤憲清は鳥羽院の北面の武士です。そして頼朝の父・義朝も鳥羽院に近い人物でしたから、和歌や兵法以外にも聞きたいことは沢山あったのかもしれません。

西行は弓馬のことについては遁世の時に秀郷以来相承した兵法書は焼いてしまった、罪業となるのでみな忘れた。歌は花月に感動した折に僅かに三十一文字を作るばかりで奥深いことは知らない、と返答。しかし頼朝の質問が等閑ではなかったので弓馬のことについてはつぶさにお話しした、と吾妻鏡にはあります。8月15日といえば中秋の名月ですから月の歌の一つや二つは詠んだかもしれません。結局、終夜語り合って翌16日の昼頃に西行は退出。別れにあたって頼朝が「銀作りの猫」を贈り、西行はこれを門外で遊ぶ子供に与えた話は有名です。銀作りの猫がどのくらいの大きさでどういう物だったのかは不明ですが、何故に猫? 頼朝、実は猫好きだったりして…西行としては旅の途中で貰っても困ったのかもしれません。
西行はこの後、焼失した東大寺再建料の砂金勧進のために奥州へ。「陸奥守秀衡入道者上人一族也」とあります。同じ藤原秀郷の流れ、という縁で寄付を頼みに行ったと思われます。
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by kyougen-kigyo | 2014-01-26 14:53 | 考察編


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