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文治2年。

文治2年(1186)は元旦の記事が無くて正月2日から始まっています。頼朝と政子、甘縄神明宮へ御参、帰りがけに安達盛長の家に立ち寄る。安達盛長は側近中の側近であり、頼朝の乳母・比企尼の娘婿でもあるので、甘縄神明参詣から盛長宅へというコースは時々、出てきます。盛長の妻の丹後内侍が病気になって見舞いをした記事もあり、家族ぐるみな付き合い、という感じ。

翌3日は直衣始めの儀。直衣は公家の平服だけれども三位以上は直衣姿で参内できる、ということで、ここでは昨年従二位に叙された頼朝が参内に代えて鶴岡八幡宮に参詣、御奉幣。この時、千葉常胤と子息の胤頼の席次が特記されています。父が上座で子が下座が通常ですが、左右に分かれて着座した時、常胤と胤頼は相対していた(ただし胤頼は少し下方に寄って座った)ので人々は良く思わなかったけれども、これは頼朝の命によるので、常胤は六位、胤頼は五位に叙されていたため官位を尊重した、とのこと。一応、朝廷重視の姿勢を見せてみた、ということでしょうか?

21日、法皇の六十の賀のため上絹三百疋、国絹五百疋、麞牙(字が潰れていますが「鹿」の下に「章」、白米のこと)、斑幕六十帖などを京都へ進上。ついでに去年言上して決定した流刑などについて早く行われるようにとの申し入れ。お祝いの時にまでそんなこと言わなくても…という気がしますが。玉葉の2月12日条に伝聞として、「頼朝別進法皇、上絹三百疋、国絹五百疋、幔卅帖云々、以越前介兼能為使、其次奏聞種々事等」とあるのが京都への到着記事でしょう。

29日、義経の在所いまだ不明により、静を鎌倉へ送るようにと北条時政に命じます。
一方で在京の時政は盗賊退治などの治安対策で能力発揮。2月1日には捕らえた盗賊18名を検非違使に渡さず首を刎ねています。京の貴族じゃなかなかこう荒っぽいことはできないので、2月に一条能保が鎌倉から京都へ帰洛して時政と洛中警護の役を交代、時政は北条時定らを代官に置いて鎌倉へ帰参しますが、ちょっと先の5月13日条の院宣を見ると時政が関東に帰ってから洛中の狼藉は数えきれないほどで、去月29日の夜には上下7ヶ所に群盗乱入とのこと。院は時政を下向前にも引き留めたりしていて、義経で失敗したので今度は時政に近づこうとしている雰囲気もあり、実際に治安が悪くなって困っている雰囲気もあり。

このほか2月中の出来事としては、18日に義経が多武峰にいるとの情報が寄せられて、義経と師檀関係を結んでいる鞍馬の東光坊阿闍梨や南都の周防得業らの僧が鎌倉へ呼び寄せられています。19日、伊豆国特産の甘苔到来、京都へ進上。「任例」とありますし、玉葉にも関東から甘苔が来たという記事があるので時々京都へ送っていたのでしょう。26日、頼朝の二男(千鶴丸を入れるなら三男)となる若君誕生、ただし母は政子ではなく常陸介藤原時長の娘であるため、政子を憚って御産の儀式は省略され、この後も若君を養育していた大江景国が政子の不興を蒙って深沢に籠ったりしています。それでも無事に育って、後に出家して貞暁と名乗ることになる人物です。
by kyougen-kigyo | 2013-12-08 15:00 | 考察編


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by 柴

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