勝長寿院の栄枯盛衰…

頼朝が父の菩提を弔うために御所の東南に土地を決めて建立した大御堂、勝長寿院。頼朝と義経の緊張が高まっていく間にも着々と工事は進んで、文治元年(1185)8月30日には京都から、東の獄門で探し出された義朝の首と、鎌田正清の首が勅使によって鎌倉に送り届けられます。東西獄門の辺りなんて晒し首だらけだったと思うので、20年以上前の首をどうやって特定したのかは不明です。最初の内は名札が付いていたかもしれませんが…それとも重要人物はちゃんと保管されてたのか?…まぁ、あまり深く考えないことにして、9月3日に埋葬が行われ、10月24日に盛大な落慶供養。




吾妻鏡によれば10月24日は無風晴天、寅の刻といいますから、まだ暗いうちに仮屋や聴聞所などの設置が行われ(現代風に言えばテント張ったり貴賓席の椅子並べたり、といったところです)、巳の刻に頼朝が束帯姿で出御。「御歩儀行列」とあるので騎馬ではなく徒歩だったようです。まず畠山重忠や千葉胤正(常胤の子息)ら14名が隋兵として先行。その後に頼朝。頼朝の剣や鎧、調度を持つ役として3名。後ろには五位・六位の人々が32名。次に隋兵16名、さらに60名が続くという大行列。周辺に住む一般庶民も見物に出ていたでしょうね。御堂の門外左右には侍所別当の和田義盛と、侍所所司の梶原景時が控えます。伴僧20名を率いた導師公顕による供養の式典。続いて綾錦や砂金・馬など多くの布施が引かれ、「毎事莫不尽美、思作善大功、已千載一遇也」という一大イベントとなりました。

今は、その痕跡はこんな状況になっています。
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小さな一角に石碑と五輪塔があるのみ。それはともかくも、この看板は、無い方がまし。
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世界遺産登録を目指すってあれだけ騒いでおいて、源氏の菩提寺のこの扱いは何なんでしょう。石碑の前の紫陽花は枯れた花が残ったまま伸び放題。後ろの方にも何か碑がありますが、見えません。永福寺跡の大規模整備の方に予算を使っているのでしょうが、せめて植栽を刈り込むとか掃除するとか…
源義朝と鎌田政家(=正清・政清)の墓と称する五輪塔(下に骨があるわけではないと思うので「墓」ではなく「供養塔」と言った方が無難)が並んでいますが、足元は枯葉が積もっています。それでも花をお供えしているのは近所の方でしょうか。義朝の五輪塔にはこんな絵馬が。
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渋谷区にある金王八幡神社の絵馬です。金王八幡は正清と並ぶ義朝の忠臣・金王丸に縁の深い神社。わざわざ渋谷で絵馬を戴いてきてお供えした人に敬意を表します。

この場所に来てみるとよくわかりますが、三方を山に囲まれて山からは川が流れ出ている、典型的な谷(やつ)地形。鎌倉の古い寺はこういう谷の奥に建てられていることが多い。

しかし、どうにかならないんですかね、あの状況は。並んでいるのが後世の石碑石塔であるにしても、あそこに鎌倉随一の格を誇った勝長寿院があったことを示すものはあの一角だけなのですから。日蓮辻説法の伝説地はこんなにきれいに整備されているのにねぇ…
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by kyougen-kigyo | 2013-09-27 23:49 | 鎌倉歩き


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