人物評① 源頼朝

とりあえず、鎌倉といえばまずはこの人。
久安3年(1147)に源義朝の三男として生まれる。12歳の時に平治の乱にあい、一度は義朝や兄と落ち延びるも、はぐれて捕虜に。死罪になりそうなところを清盛の継母である池禅尼のとりなしで伊豆配流となり(伊豆ってそれだけ僻地扱いだったんでしょうね)、その後24年間、伊豆に雌伏。治承4年、33歳の時に以仁王の令旨に応じて挙兵し、平氏を滅ぼし鎌倉幕府を創設する。建久10年(1199)正月、没。
簡単に言えばこういうプロフィールになります。最近の当ブログでは38歳の頃のことを書いています。



史料を見ていると、
・あまり実戦向きではない。
・人心掌握に長ける。人の使い方がうまい。その結果、周囲に人材豊富。
・政治的手腕はすごい。特に機を掴むことにかけては。
・家庭内はあまりコントロールできてない。
という印象になりますか。
日本史上初であり、鎌倉・室町・江戸と形を変えながらも600年以上続くことになる「幕府」という政体を創始した人であるわりに、歴史上の英雄たちに比べると影が薄いんですよね。確かに、最近はやりの戦国武将的な華々しさはなく「この人すごい!」という感じもない。雌伏期間がやたらと長い上に、挙兵直後に大敗しているように実戦の場において戦上手とは言い難いし(戦術の人ではなく戦略の人だった)、政子の尻に敷かれているイメージが先行してしまっていることや、義仲追討も平氏追討も自身は鎌倉から全く動かず御家人を派遣することによって遂行している点も英雄像としてはマイナスに働いています。我々は後からいろいろ史料を見ているからあれこれ勝手なことを書けるけれども、同時代人にとってはなかなか読みが難しい人だったのでは。かなりの策略家ではあり、好き嫌いは割れるでしょう。私も元々は鎌倉という時代や場が好きなのであって頼朝好きだったわけではないのです。でも書いていると「なんかこの人、実はすごいかも?」とじわじわとくるタイプ。義仲が突っ走ってようが平氏が滅亡しようが鎌倉から動かない、あの“動かなさ”が逆にすごいと思うのです。結局、頼朝びいきのブログになっております。

何度か書いている通り、当時の武士団というのは婚姻などによって緩やかに横に連携している状態であり、その横の繋がりも仲が良いとは限りません。始終領地争いをしているし、ちょっとした言い争いが合戦に発展しかねない。武士道なんていう理念もない。大きな纏まりを持たずに、自分の領地を守ることに熱心な連中が、挙兵したと思ったらいきなり大負けして命からがら逃げた人の所に集まってきた、それがまず不思議。もちろん平氏に対する不満と源氏の棟梁の嫡流という血筋も大いに影響があったのでしょうが、よほどの求心力がなければできないことです。平氏政権は東国にはあまり興味がなさそう(私の単なるイメージですが)なので、そろそろ東国をまとめてくれる人を欲していたのかもしれません。領地争いにしても是非を決めてくれる人がいないから延々と続きますしね。実際、幕府の業務の大半は訴訟だったのではないでしょうか。

では同時代人から見た頼朝は、というと。頼朝は建久元年(1190)11月と、建久6年(1195)3月の東大寺大仏供養に合わせての2度、上洛しているので、その頃に京都で日記を書いた人を探してみると、九条兼実の『玉葉』に初上洛の時の記録があります。兼実は実際に頼朝と会って話をしていますが、どういう人だった、というような感想は書かれていません。淡々と、今日は誰に会った、どこそこへ行った、という記録です。ただ、面談の時に頼朝が語った言葉は記してあります。その内容は、天下の政を執っているのは法皇で主上は春宮のようなものであるからして、まずは法皇に帰順しておくべきであるというようなこと。政治を進める上での、時の摂政・太政大臣との確認事項、といったところでしょうか。
藤原定家の『明月記』は残念なことに建久元年と建久6年が欠巻。時々参考にしている天台座主・慈円の『愚管抄』には上京時の様子が2回とも書かれています。初回の上洛直後に頼朝は右大将と権大納言を拝命しますが、すぐに両官とも辞退。慈円はこれを「イカニモイカニモ末代ノ将軍ニアリガタシ。ヌケタル器量ノ人ナリ」と絶賛しています。別に頼朝は無欲で辞退したわけではないでしょうが、義仲にしても義経にしても官位を欲しがっていましたから武士というのは官位を与えれば喜ぶものと思っていたのが、さっさと辞退してしまったので驚きだったのでしょう。

関東武士たちには日記をつけるという習慣がなかったので(そもそもこの時代の日記というのは有職の覚え書きという性格が強いですから公家社会のもの)、関東の側から見た頼朝像を直接示してくれる史料はありません(多分…管見の限りでは)。吾妻鏡は少し時代がずれて美化してますし。御家人たちが日記でも残してくれていれば面白かったのですが。
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by kyougen-kigyo | 2013-09-16 14:32 | 考察編


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