平家追討使、四国編② ~壇ノ浦~

文治元年(1185)2月19日に屋島の合戦、さらに志度の合戦でも負けた平氏勢は九州方面へ逃れます。1ヶ月後の3月22日、義経は壇ノ浦を目指して出航。この間、何をしていたのかは吾妻鏡からは不明ですが、範頼から相変わらず兵糧がない、船がないと嘆く手紙が頼朝に送られて、関東から兵糧米を載せた船が出ていますから、範頼との連携のためにその到着を待っていたのか、四国内に残る平氏方の追討をしていたのか。この年、西国は飢饉だったようですから義経勢だって兵糧は不足していたはずだし。

3月21日、周防国の船奉行・船所五郎正利が兵船数十艘を提供。22日に義経が出航したことを聞きつけた三浦義澄、この人は範頼勢が豊後に出陣するときに防備のため説得されてしぶしぶ周防に残ったのですが(九州編参照)、大島津という所で義経勢に合流。大島津については『現代語訳吾妻鏡』の注では「周南市南部か」とあるので地図で見ると確かに周南市南部に大島という地名が見えます。大島のようないくらでもある地名は比定が難しい。義経は、義澄はすでに門司の関を見ているのだから、と案内役を命じ、壇ノ浦へ進軍。平氏勢も彦島から出てきます。
ところで、平家物語だと義経は「周防の地へ押渡り、兄参河守と一つになる」とありますが、吾妻鏡の壇ノ浦合戦には範頼に関する記述なし、実際はどうだったんだろうか、影の薄い人で…京や鎌倉への報告も義経から送られています。



さて、3月24日に長門国赤間関壇ノ浦海上で源平、対峙することに。後日鎌倉に届いた義経からの報告によれば平氏は五百余艘、源氏は八百四十余艘。義経が出航した時は数十艘だったし、遅れて屋島に着いた景時らの兵船は百四十艘、範頼も兵船集めに苦心していたのになぜ源氏の船がこんなに増えているかというと、伊予の豪族・河野氏が馳せ参じ、紀伊田辺から熊野の別当・湛増が援軍に来る、という具合で周辺の水軍が源氏方についたのですね。屋島から壇ノ浦までの1ヶ月間は彼らの集結を待っていたのかもしれません。対する平氏には九州の松浦水軍が味方しています。

平家物語では、いよいよ矢合わせという時にまた義経と景時が喧嘩してますが、これは吾妻鏡にはない話です。先陣を望んだ景時に対して、義経は自分が先陣をすると言ってきかず、同士戦になりそうなところを三浦義澄と土肥実平に止められる場面。遡ってみれば、前年の元暦元年に範頼が上洛途中で配下と先陣を争ったがために1ヶ月ほど頼朝の勘気を蒙りさんざん詫びを入れる羽目になっていたのですから、頼朝がそういう騒ぎを好まないのは義経も知っていたはずだと思うのですが…この諍いの腹いせをするように景時この日の合戦に大活躍、「分捕数多してその日の高名の一の筆にぞつきにける」というのが平家物語。事実なのかフィクションなのか、証明する史料はありません。

おそらく夜明けから合戦が始まったものと思われますが、午の刻には平氏の敗色が決定的となり二品禅尼(清盛の妻、時子)が三種の神器の一つである宝剣を、按察局が8歳になる主上を抱いて入水。教盛、経盛、資盛ら主だった人々も海に没しますが、建礼門院は助け上げられ、平氏の棟梁である宗盛とその息子の清宗は生け捕り。この宗盛はどうも評判が芳しくなく、正月に頼朝が範頼に送った書状の中には「内府(宗盛)は極て憶病におはする人なれば、自害などはよもせられじ、生取に取て京へぐして上べし」とまで書かれていて、その通りの運びになったわけです。

4月4日、義経から平家討滅を報告する使者が京都へ、11日には鎌倉へ到着。入水した人々、生け捕りになった人々の名簿と、宝剣が紛失して捜索中であることなどが記されています。その後、範頼は九州にしばらく残って事後処理、義経は生け捕りの人々を連れて上洛するように、との命令が出ます。

宝剣紛失については『愚管抄』が面白い見解を示しています。「武士ノキミノ御マモリトナリタル世ニナレバ、ソレニカヘテウセタルニヤトヲボユル也」つまり剣は武の方面の守りであるからして、武士が世を取ることを「大神宮八幡大菩薩モユルサレ」たので宝剣は必要なくなったのである、平氏が立てた君主の御守りがこういう機会に失せたのは得心がいくことである、と。これが時代の流れに「道理」を求めた慈円の思想です。
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by kyougen-kigyo | 2013-08-24 22:30 | 考察編


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